亜州南溟日記

以前FC2でアジア南溟通信というブログを書いておりましたがコチラへ引越ししました。アジアで沈殿してる中年オヤジです。

カテゴリ: 日記

パンパンガ州に住むメリーからかつての恋人Mの住所を教えてくれないか?という依頼が来た。このメリーとMは今から20年以上前に香港で出会い、お互い配偶者がいるダブル不倫の関係を続けた挙句に娘キムまでできてしまうのだが、それから21年たった先月このキムに子供が生まれたのである。

 つまりMはお爺ちゃんになったわけだが、生憎とMは昨年3月2日に日本で死んでおり、奇しくもその死を伝える役回りは筆者ら夫妻になってしまったのであるが(詳しくは以前の日記を読んでほしい)、せめてMが住んでいた家に(旧知のフィリピン人「男性」を装って)孫の写真を送りたい!とキムが言っているのだそうだ。

 あれ?オレお前に住所送ったよな?と女房に問いただしたら、実は死んだことだけを伝えて住所は知らせなかった・・と言うのだ。なぜならキムの性格だと泣きながら日本に電話でもかけそうで、一方Mの未亡人はキムの事なぞ何も知らないのだからこれ以上悲しませたくはない・・と配慮したと言うのである。

 ただ実父Mの死を知ってからもう1年がたったし、何より赤ん坊が生まれて気分はそっちの方に傾いているから大丈夫だろう!ということで「○○県××市△△区・・」を英語に直し、ついでにグーグルアースで見えるようにと北緯△△西経■■度まで送ったところ、しばらくすると「本当にこれで正しいのか?」とテレビ電話がかかってきたのね。

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 えっ?なんで?と聞いたところ「だってやけに家が小さいじゃないの!」と言うのだ。経済大国日本のメガバンクの社員で、しかも長年アジア各地に赴任したMなら、そしてベリー・ベリー・スティンジー(すんげえケチ)だったMなら相当カネが溜まったはずで、だからこんな小さい家に住んでいるはずがない!とメリーとキム母子が言い張るのである。

 ちなみにフィリピンは土地や建設費が安いため貧乏人でも案外と大きい家に住んでいるのが普通で、パンパンガ州のド田舎にあるメリーの家も敷地200坪、建坪100坪と外から見る限りは(クーラー無いけど)結構なお屋敷なのだ。だから自分よりはるかに金持ちだったMならもっと大御殿に住んでいる!と思い込んでいたらしい。

 しかしMの年齢を考えると家を買ったのはバブル前だろうけど、しかし日本最高峰の一つ○○市のこの場所なら当時でも坪100万はしたはずで、だから建物がいくらで土地の広さがこれこれだと100万米ドル以上になるから、これは銀行員の年収の〇年分に・・と計算している最中に・・ある明確な答えを見つけたのだ。

 ご存じのおとりグーグルアースはサイズが図れるのだ。で、Mの家は東西15x南北16メートルであり、これちょうど240平米(おおよそ73坪)になるのだけど、相続税で何から何まで自分で調べなきゃならない体験をされた方なら240平米の土地と聞くだけでピン!と来るはずである。

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 そう、これ今は変わったけど数年前まで小規模住宅の特例控除の限度サイズだったんですよ。普段住んでいる土地がとんでもない値段になったところで手持ちの現金が増えるわけじゃないから、相続税をそのまま適用されてしまえば家を売り払うしか(=住み慣れた家から出ていくしか)なくなるわけでしょ。

 そういうのを避けるために「生計を共にしてきた人間がその土地を相続する場合は課税評価額を80%減額する」というのがこの特例措置で、ただもしも250平米の土地ならはみ出た10平米だけは丸ごと課税対象になっちゃうのだけど、Mはこの点を考慮してわざわざ80%減額になる土地を選んで買ったに違いない。

 で、パソコンの向こうにいるメリーとキムにこの240平米の特例措置を説明し、もしも仮に倍のサイズの土地盗んでいれば奥さんは相続税として1500万ペソくらい国庫におさめることになったはずである!と言ったところ二人ともピタッと何も言わなくなり、そしてお互い顔を見合わせて頷いているのね。

 人間自分が死んだ時の税金まで考えて家を買うものだろうか?と誰もが思うけど、ベリー・ベリー・スティンジー(すんげえケチ)なMなら十分あり得るわ・・。これメリー・キム母子とMを知る女房の結論である。それでその後はMもケチぶりについて3人が饒舌に語り出したのだが、その徹底したケチぶりときたら聞いてて・・。まあ死人を悪く書くのは嫌だからここらで止めておきます・・。

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先週末にイミグレ本部に出向いた際に折角だからマラテで一泊してきた。そう聞くとアンタはフィリピンのえらい遠くに住んでるんだな?と思われるだろうけど、実は筆者の家は直線距離で10キロほど東のパッシグにあるのだけど、マラテはちょっと行く気にならなかったのだ。

 以前の日記でもたびたび書いたが今から20年以上前に筆者は当時いた香港からフィリピンにちょくちょく遊びに来ていて、その時の定宿は出来たばかりのリビエラマンションだったのだが、当時のマラテ一帯はリム市長の浄化政策のおかげでゴーストタウンみたいになっていたのだ。

 日本料理といったら道産子ってラーメン屋にイセヤって旨くない日本料理屋、それとサクラって焼肉屋の3軒だけで、そこへ向かって歩いていくと途中の廃墟に貧乏な一家がたくさん住み着いてて、そいつらが娘に売春させて生計立ててたりとフィリピン社会の底辺を垣間見れるのが面白かったのね。

 ただ夜遊びの方は本当に何にもないからタクシー飛ばしてエドサ・コンプレックスへと通いつめ、女にあぶれた日はマカティのインペリアルってHなマッサージ屋でスッキリしてたのだけれど、でも半分廃墟化したマラテ&エルミタを歩くのも趣があって筆者は結構ここが好きだったのね。

 で、それから16年が経過した6年前に筆者はフィリピンへと移住をしたのだが、その時にブログランキングで上の方にいた方から「会いませんか?」とメッセージが入り、こっちもヒマだしマラテで誰かと呑むのも悪くないと指定された店へ向かったのだが・・二度と来るもんか!という結果になったのよ。

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 筆者も半分そっち系の香港人ブローカーや汚職まみれの中国税関幹部なんてのを長年相手にしてきたけれど、マラテで会ったその人物と「突然を装って」話に割り込んできた日本人たちってのがそれ以前のもっと粗雑に出来てる人たちで、こりゃ無駄足だったわ・・と思った筆者は相手が話している途中で席を立ったのだ。

 筆者にとっては会ってもなに一つ得るものが無い人たち、一言でも話すこと自体が無意味な人たち。もちろん見た目は怪しくとも中身はちゃんとした人はいるだろうし、マラテに住んでる日本人が全員そうだとは思わないけど、とにかくこの時の印象があまりに悪かったのと、その後ちょっと一悶着があったので以降マラテに立ち入るのは極力避けるようにしたのだ。

 しかしそうはいってもむかし筆者が沈殿していた辺りがどうなってるのか?には興味があったから今回マラテに一泊することにしたのだけれど、夜遅くとある有名な日本人のたまり場に行ったらさ・・いたんですよ、6年前に突然を装って割りこんできた男が、その店に。

 もちろん向こうはこっちのことなど覚えているはずもないんだけど、運悪く店員がすぐ後ろの席へと案内しやがってさ。で、否応なしにその男と仲間たちの会話が耳に入るんだけど、これがまあ・・ウツボが目の前を通り過ぎる小魚をジローっと吟味してパクっと食らいついたような話題ばかりでさ、ゲンナリしてきたのね。

 自分の住処で娘に体を売らせているフィリピン人夫婦の底辺さとは別次元の底の底とでもいうのかね、その男たちから漂ってくるマイナスのオーラが嫌になり、それでさっさとお勘定を済ませて出ちゃいました。たぶん次にマラテに行くのはずっと先になるか、いや二度と足を踏み入れない可能性の方が高いかな。
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会社員時代に一時期上司だったT氏から「最新作が出来たから聴きに来なよ!」というメッセージが来た。この方はオーディオ、それも筆者が大学生時代にほぼ死滅したアナログレコード用(LPレコードの事ね)のオーディオ機器を手作りしているのである。

 このT氏は20代にアメリカのサービスで数年過ごした後は商品企画やマーケティングで才能を開花させ最終的に海外営業部長になったのだが、しかし元々は技術屋だから三つ子の魂百までものたとえ通り引退した現在でもモノづくにせっせと励んでいるのだ。

 しかし筆者が部下だった時にT氏の趣味はパソコンやビデオカメラに向けられていて、そのあまりにマニアックな世界観にはついていけないので出来るだけ会話しないよう心掛けていたのだが、似たような精神構造を持つA技術課長からアナログレコードの世界へと誘われたことで最終駅に到着したのだ。

 香港支店時代にもT氏の自宅にお呼ばれしたので渋々で出向いたところ、これが壁一面がスピーカーになっていて、ラックにはジャズやクラシックの「LPレコード」で溢れていたのだが、「こんなの今でも売ってるんですか?」と聞いたところ、「ニューヨークの○○丁目で買うんだよ・・」と言い出したのである。

 なんか最近よくアメリカに出張するな・・とは思ってはいたが、なんとLPレコードを買うのが本当の目的だったのか・・と唖然としたが、さてその壁一面から流れてくるバイオリンの協奏曲の〇番なるのを一緒に聞かされながら詳細微細な技術的説明を聞かされたのには閉口したものである。

 で、その後T部長は役員コースをなげうって中国で起業してしまい(当然メーカーである)、しかし2人のお子さんがアメリカの超名門大学に進学され後継者になる可能性は100%無い事が確実になったため会社を部下に禅譲してしまうのだが、さて日本に戻ってゆっくり釣りでもしながら余生を過ごすのかと思いきや遂にオーディオを自作し始めたのだ。

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 最初はLPレコードを聴いているだけだったがヒマが出来たのでプレーヤーを作り始め、しかし音が満足できないからとスピーカーからアンプまで自作し、やがて同好の志に利益ゼロで供与しているうちに評判が評判を生んでビジネス化し始めたのだが、齢70を過ぎた今でもより良い音を求めて自宅工房に篭っているのである。

 で、筆者が何を言いたのか?というと、全盛期のころの日本メーカーを支えていたのはこういうマニアックなオヤジたちだった・・ということなのね。理工学部を出た筆者は最初は開発センターに配属されたんだけど、センターの一番上の方が言った「君たちは子どもの頃プラモデル作りが好きだったかね?」という言葉にすべて要約されてるのよ。

 マニュアル通りに組み立てるだけでは飽き足らず、自分が納得する形に改造するのが好きで好きでしょうがないガキ。こういうのがゆくゆくは革新的な新製品や特許を生み出すのであって、単に勉強が出来るだけでメーカー入った理系学生には尽きることなき執念が足りてないから年を追うごとに差がついていくのだ。

 だから筆者は2年で技術者の道は断念して営業へと進路変更したのだけれど、だけど1回目の海外赴任を終えて戻ってみたら・・これがまあT部長みたいなマニアックな技術者がみ~んな他所に転籍したり自分で会社始めちゃったりしていて、残っていたのは社内業務には長けた、しかし何も生み出さない理系官僚ばかりになっていたのね。

 日本メーカーの凋落について評論家は行政や海外への工場移転、あるいは技術の陳腐化など様々な分析をするけれど、ルノーに買収される前の日産にはクルマ好きの役員がただの一人もいなかった様に問題の根っこは技術革新を生み出す素養がある人間が極端に減ってしまった事であろう。

 オーディオのT部長にガラス工芸のS部長、なぜか台北でスーツの仕立て屋を開業したH部長に盆栽のコンテストで毎年上位にいるM部長。筆者より20歳上のこの人たちって本当にモノが好きで好きで仕方がないんだな・・とつくづく思う。で、その下はどうかというと・・残念だけどどこも似たようなもんだろう。
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金曜日にイミグレ本部へ行ってきた。これ少し前の日記で近くのイミグレ支部でECC(出国許可証)が取得できなくなった!と書いたところ「いい加減な国だからイミグレ本部に行ったいいぞ!」というコメントを戴いたからで、ACRカードの更新云々で聞きたいこともあるから片道1時間半かけて出向いたのである。

 で、イントラムロスの本部はいつも通り大勢の人間でごった返していて、案内係の言う通り左側一番奥のデスクへと歩いていき「ECCを申請したい」と言ったところ横柄な感じのおっちゃんが「オーケイ!ノープロブレム!」と言って申請書を手渡したのだが「3日かかるから来週になるぞ」と言ったのだ・

 はぁ????なに言ってるの?だって昨年夏に近所のイミグレ支部で申請した時は当日渡し、しかも20分くらいで受領できたのだ。それででっきりオッちゃんはエクスプレス・フィー(500ペソする)を含まない遅い方の手続きの事を言ってるのだな・・と思ったのだが、料金聞いたらちゃんとエクスプレス分入れてやがった。

 それでムカッと来た筆者は去年支部では20分で!と文句を言ったら「ノーノー!ルールが変わったんだ!我々はインプルーブしたんだよ!」と呆れたことを抜かしやがる。あのなあ・・Improveってのは改善って意味で、お前らがやってるのはDegrade(劣化)じゃねえか!と思ったが、さすがに大声で喚くわけにはいかない。

 しかし・・このオッちゃんは筆者の身分証明書をジッと見るなり「あれ?あんた永住権もってるじゃないか!だったら出発時に空港で取得したらどうだ!」と抜かしたのである。あのなあ、お前んとこの広報に「空港での出国許可証取得は大変混雑してるので近くの支部で取得してください!」って呼び掛けてるだろうが!それがすべての始まりなんだよ!

 イミグレの広報の指示通り近くの支部に行ったら「うちでは出国許可証を出せなくなった」と断られ、それで本部に行ったら以前よりも申請→受領のリードタイムが劣化していて、そして最後は「空港で取得しなよ」と振り出しに戻る。なんか不毛なスゴロク、いや虚構の世界に迷い込んだような気分である。

 それに空港のイミグレカウンターで直ぐに出国許可証出せるのだったら、イミグレ本部ならほんの数秒で出来そうな気がするが、それが3日かかってしまう!という理由がちっとも理解できない。ただイミグレ本部の建物の中にいても何かが解決する方向に進むとは思えないので、何も言わずに黙ってその場を立ち去ることにした。

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香港支店で同僚だったジャネットから「あんた香港に遊びに来ないとだめよ!」というチャットが来た。現在香港政庁はIDカードを総入れ替えする手続きが始まっており、今年6月か7月に香港でカード変更しないと香港永住権を失っちゃうわよ!と伝えてくれたのだ。

 実は筆者なこのことを知っていて、だから今度の日本滞在の後で香港に寄るよう飛行機を予約したのだが、若い頃から一緒に働いた仲間だし高校生の娘がいる今でも色気ムンムンのジャネットゆえ「おー!それは知らなかった!」と知らないふりをしたところ・・その後の会話がちょっと重かった。

 もう香港に住む理由は無いわよね・・という一文とともに陶傑(キット・トー)という有名作家のコラムが添付されてきたのだが、その題名は「二選一的国運」となるもので、ジャネットがしばらく沈黙していたことから意図を酌んで読んでみたのだ。

 これ中国人が二者択一を迫られた場合、誤った選択をしてしまうケースが非常に多い・・という内容で、蒋介石の国民党ではなく毛沢東の共産党に中国本土の政権を与えてしまった事、そして天安門事件の直後に鄧小平が改革派の趙紫陽を切って李鵬を選んだ事を例に上げていたのだ。

 そして本題は前回の香港行政長官の選挙でも優秀な財政家であり英米派のジョン・ツァンではなく親中派のキャリー・ラムを選んでしまったために現在香港の独立性は徐々に失われ、中国との犯罪者引き渡し協定をめぐって最近13万人のデモが起こってしまった・・と書いてあるのね。

 つまりジャネットは「あんたはフィリピンにいるから香港に用は無いだろ?」ではなく、「あなたにとって香港はもはや魅力的では無くなってしまったのではないか?」と言いたかったようだが、ジャネットを失望させるのは嫌だったから昔の様に口説き文句を混ぜながら話を誤魔化したのである。

 しかしジャネットとチャットでしている最中に筆者の脳裏によぎったのは「このコラムは正しいな」という考えで、確かに筆者は今後香港に住む可能性は低そうだけれども、なにより「中国人は肝心な時に間違えてしまう」という一説に「その通り!」と叫びたかったのだ。

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 筆者が香港に赴任したのは1994年で、これ3年後にイギリスから中国へ返還される過度期だったのだが、香港人たちの間には世紀末的なムードが漂っているのか?と思いきや、これが全くのアベコベで、彼らは自分たちの将来が良くなる!と本気で思っていて、海外人の持つ悲観的な香港将来図とのギャップに唖然としてしまったのだ。

 筆者の周りにいたのは共産主義者か民族主義者なんかではなく、みーんなファッションや芸能なんかに夢中なごくごく普通の人たちなのである。で、自由を謳歌している香港人たちが何ゆえ自由を抑圧する中国を讃えたのかというと、彼らの頭の中は経済の事でいっぱいで、そもそも民主主義とか自由主義という概念が薄かったのだ。

 イギリスの支配下で長年政治や経済の自由を享受はしてきたが、それはあくまで与えられたものであって自分たちで築き上げたものではない。だから香港人たちに「あんたらが自分の頭で国家の設計図を書きなさい」と言われてもアイデアは出てこないし、皆の意見を最大公約数的に取り入れると辛亥革命直後の中華民国みたいな体制になってしまうのだ。

 そんなはずはない!香港には優秀なテクノクラートが沢山いるじゃないか!という意見もあるだろうけど、これ「かつてはいました」というのが正確な答えで、彼らのほとんどはサッチャー・鄧小平の香港返還合意の後にカナダやオーストラリアに移民してしまったから、筆者が香港で接したのは上澄みが取り去られた濁った下半分だったのね。

 公の観念が希薄な中国人ゆえ頭の中に明確な国家設計図が有るはずもなく、さらに高等教育を受けた人間が真っ先に国を捨ててしまうのだから残ってる人間に何かを期待する方が無理なのだ。だから自分に利益をもたらしそうな親分を見極め、仰せのままに!と擦り寄っては分け前をもらう・・という思考パターンのままなのだ。

 上に書いた以外にも中国人は儒教的な人治思想から出れないとか、脳機能的に抽象的な思考が苦手だとか、あるいは享楽的な考えのため統制とか制御の執行者となる政治がそもそも嫌悪している等があるのだけれど、とにかく中国人は政治判断では間違えを繰り返すのは彼らの歴史が示すとおりである。

 長年香港と中国を行き来していれば中国の本音はイギリスの植民地として長年積み上げてきた膨大な資産、そして金融、貿易、工業のノウハウを全て吸い上げて深圳と上海と移植することだったのは誰だって見抜けたはずだが、残念ながら目の前のカネに目がくらんだ香港人たちはそういう共有認識を作ることが出来なかったのだ。

 ただ筆者は都合16年も香港にいて、そこには楽しい思い出がたくさん詰まっているし、友人にも恵まれたからこれ以上批判的にはなりたくないのだ。だからジャネットに対しては口説き文句の合間に「今からでも遅くないから外国への移民を考えたらどうか?」と匂わせたのである。

 だって中国共産党にとって香港は既に刈り取りの段階を終えていて、次は良く言えば中国と一体化、現実は自由を統制し資産を収奪する段階へと入りつつあるからだ。もちろん明日明後日の話ではないけれど一般の香港人が幸福に過ごせる余地は年々無くなっていくのは確実。だから香港の将来は限りなく暗いと思っている。

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