昭和から平成へと元号が改まる時、筆者は大学4年生で学生時代最後の旅の準備に忙しく、世間では「時代が変わった」と大騒ぎしていても正直「へえ、そうなの・・」くらいにしか思わなかったけど、それから30年たった昨日、令和の時代に入る瞬間に何か一つの区切りが来たような気分になってしまった。
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昭和から平成へと元号が改まる時、筆者は大学4年生で学生時代最後の旅の準備に忙しく、世間では「時代が変わった」と大騒ぎしていても正直「へえ、そうなの・・」くらいにしか思わなかったけど、それから30年たった昨日、令和の時代に入る瞬間に何か一つの区切りが来たような気分になってしまった。
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先日の日記で新紙幣の肖像画が何が良いか?と書いたところ、これを読んでいただいた方から「やっぱり天皇でしょう」というコメントをもらったのだが、それを読んで「なるほど、そりゃそうだ」と納得してしまった。政治家や財界人に文化人はどの国だっているわけで、日本がオリジナリティに拘るなら確かに天皇である。
天皇皇后陛下が剣と玉を持って伊勢神宮に参内するというニュースを聞いてハタ!と膝を叩いてしまった。なおこれは筆者が熱烈な天皇信者でも伊勢神宮を守ろう会の会員なわけでもなく、この剣璽動座なる皇室行事は筆者の頭になかにある仮説にピッタリ合うからだ。
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(前日からの続き)祭りとは本来「年に一度部長の顔にビールぶっかけて良い!」の無礼講と同じく一般庶民のガス抜きが目的であり、だからこの木を切り出して地面に引きずる、乗っかって丘から突き落とす、神社に柱として立てかける、という一連の儀式はここら一帯の住民が「木」に対して深い恨みを抱いていたと考えた方が自然である。
出雲系の民たちに「お前らのせいで負けたのだ!」という深い恨みが残ってしまい、だから数年に一度の祭りの際には山に分け入って原住民を捕まえて殺しても良いよ、丘から突き落として殺しても良いと、神社に死体を立てかけて皆で酒を呑んで嘲笑っても踊り狂ってもガス抜きしろ・・となったと思うのだ。
現在は山から切り出した木を突き落としているが、古来は原住民だった・・それが筆者の考察である。で、そう書くと神聖なる神社に死体を立てかけるなんて有り得ない!と思うかもしれないが、それは近世以降の感覚であり、恨みを持って死んだ人間の念を逆さに利用することでプラスに転化する古神道の概念で考えればこれが正解なのだ。
異常長々と書いてきたが、これが日本三大奇祭の一つに対する筆者の考察である。なおこの話をこの地元の方に話しても反発をするだけだろうが、藤原氏に都合の良いように替えられた伝承に惑わされず合理的な考えが出来る人なら、歴史の陰に消えてしまった縄文系原住民の存在にたどり着くことが出来ると思います。
筆者は三十代の半ばに島流しされていた事があって、この島流し先がある県には数年に一度行われる奇妙な祭りがあった。それは山から切り出した大木を大きな神社に突き立てる一連の儀式で。地元の人たちはこの祭りを大変誇りにしていたのだけれど、話を聞けば聞くほど筆者の中で違和感が高まっていったのだ。
まず地元の方たちの認識から抜けてのは、この地域の歴史を出雲系豪族vs大和朝廷の二者対立構図で捉えるのは間違いで、実際はそれ以前に住んでいた原住民、それはミシャグシとか石神、アラハバキなどを信仰していた土着民がいるわけで、現実の構図は第一次住民(土着民)vs第二次住民(出雲系の大豪族)vs第三次住民(大和朝廷軍)の三者対立なのである。
これ日本以外だと南アフリカ、ブッシュマンや黒人が住んでいた土地へオランダ系のボーア人が攻め込んで植民地化し、次にイギリス人がやってきてボーア人を遥か遠方へと駆逐しケープ植民地を作ったボーア戦争に至るまでの250年史に例えるのが一番近いだろう。侵略目的が天然資源であるなどこの神社地帯の歴史と共通点が多いのだ。
あと神社がなぜか4つに分かれていて、それは2系統なんだけれど・・とややこしいのは、要するに土着民、出雲系侵略者、大和朝廷の三者それぞれが自分の神社を建てたり古い神社を上書きしたりしたからで、伊勢神宮が2つあるように1つの社名で神社が幾つもある場合は「その土地はエルサレムみたいに歴史的に何度も支配者が入れ替わった複雑な土地でっせ」と考えるべきらしい。